本資料集成の内容
植物学者にして地理学者としても名高い、ヴラディミール・レオンテヴィッチ・コマロフ(1869~1945)の名著『満洲植物誌』を、ロシア語の原本[三リール]と日本語翻訳版(南満洲鍼道株式會社庶務部調査課 編)[三リール]で一セット、合計六リールにして、「マイクロフィルム・DVD・解説篇」の三様式で刊行。
著者の生涯の記録
著者は、セイント・ペテルスブルグに生まれ、セイント・ペテルスブルグ大学を、1894年に卒業。その四年後から、母校において講義を始めると同時に、レスガフト・ペーター・フラッゼヴィッチ(1899~1909)とロクヴィッッカーヤースカロン・ミラ・アレクサンドロヴナ(1906年から)の指導下で、植物学の研鐙にも励んだ。 1899年には、「セイント・ペテルスブルグ植物園」と「植物学博物館」の構成員となる。1935年にモスクワに移動した。彼の輝かしい経歴は以下のように叙述される。1920年に「ロシア科学アカデミー」の会員となり、1930年から1936年にかけて、この組織の副総裁を務めた。1915年には、「ロシア植物学協会」の創立に与り、1930年まで、指導的な地位にあり、後進の育成に尽力した。1940年からは「ソビエト地理学協会」の名誉総裁の任にあたることになった。 1940年に、推挙されて、「ソビエト科学アカデミ一植物学研究所」に所属することになった。また、1936年か1945年の死の時に至るまで、[ソビエト科学アカデミー]の総裁の栄誉を担うに至った。
さらに、第二次世界大戦中はウラル地方の国防資源動員委員長として活勤し、1943年に「社会主義労働英雄」の称号を与えられた。そして、コマロフは、1941年と1942年の、生涯二度に渡って、「スターリン賞」の栄誉に輝いている。この二度にわたる受賞は非常に稀である。
彼の植物学研究の主要な関心は、極東地方、カムチャッカ半島、さらに、これらの地域に隣接する、北東アジアのシベリア、モンゴルの植物相にあった。彼は、セイント・ペテルスブルグ大学在学中から、これらの地域において商物調査旅行を数次にわたって行い、研究成果を多くの「植物関係雑誌」に発表した。
さらに、こうした植物地理学的研究を基礎にして、植物の種の起源と進化について環境の影響を重視した独白な見解を『植物の種の理論』(1940年刊行)にまとめ、スターリン賞を授与された。
この国民的な英雄ヴラディミール・レオンテヴィッチ・コマロフの生涯の業績を讃えて、「セイント・ペテルスブルダ植物園」の管理棟、及び、1913年から1935年にかけて、彼が住居を
構えた、ブロフェッサラ・ポポヴ街に、記念碑
としての金属板が設置されている。その後、ケ
レオムヤッキ村にも、コマロフの記念碑が備え
られることになった。
本資料集成(満洲植物誌)の特色
(1)モンゴル、シベリア南部、カムチャッカ半島など、アジアの極東地方の特異な植物相を俯瞰した唯一の第一次資料…作物生育の北限地帯としての極東地方のフローラが容易に理解できる。アムール河の両岸を踏査して、人間の生活に必要な有用植物を捜し出すための唯一の資料として、江湖に高く評価された。
(2)経済植物あるいは有用植物研究のための貴重な第一次資料…南満州鉄道株式会社、満州国などの日本の政府機関が、「満州・蒙古・中国における資源開発」の基本方針の基に、有用な経済植物を栽培するための貴重な文献として活用された。
(3)資源植物の開発のための価値ある第一次資料…この書籍の刊行以降、「南満州鉄道株式会社附属工業試験場」「上海自然科学研究所」「満州医科大学」「建国大学」などの研究機関の研究者たちによって、味噌や醤油を製造するためのマメ科植物、調味料、薬品及び酒類の原材料となるイネ科植物、毒性を持つが、薬物としても利用可能なキンポウゲ科植物の工業化と実用化の研究が開始された。これらの研究の先鞭をつけることになった貴重な文献としての価値は、未だに失われていない。この日本語翻訳版が、戦前、「露亜経済調査叢書」の一巻として刊行されたことを想記すべきである。
(4)懇切丁寧な解説と包括的な問題提起…解説において、この資料の価値と、「極東地方における有用植物研究」の基本的な問題点を指摘。またDVD版においては、科名及び一部の植物の和名、学名から検索できる機能が附属されているので、非常に有用である。