商品コード: ISBN4-7603-0204-2 C3321 \50000E

第7巻 民間治療 (11)

販売価格:
50,000円    (税込:55,000円)
第7巻 民間治療(11)
〈2000/平成12年10月刊行〉
[第7回配本]
◎妙薬博物筌(藤井 見隆 著)

〔全11巻〕《全巻完結》
The Collected Historical Materials in Yedo Era III
浅見 恵・安田 健 訳編
B5版・上製・布装・貼箱入

妙藥博物筌(みょうやくはくぶつせん)[京都大学附属図書館富士川文庫所蔵、ミ・一七]

(一)書誌
 本集成では京都大学附属図書館富士川文庫所蔵本(書林前川文榮堂/大阪博勞町心齋橋通角/伊丹屋善兵衞版)を使用した。七巻七冊である。刊行年度は明記されていない。『国書総目録』『古典籍総合目録』(岩波書店)によれば、この資料は、本書で使用したもの以外は、以下の諸機関に所蔵されている。全て版本である。編者が未見の資料も多く、ここでは、これらの資料を列挙した。

(二)所蔵されている資料一覧
(あ)国立国会図書館白井文庫[七巻七冊。特一・二二三○]
(い)東京大学附属図書館鶚軒文庫[七巻七冊]
(う)研医会図書館[七巻七冊]
(え)刈谷市立図書館[七巻七冊]
(お)杏雨書屋乾々齋文庫[一帙七冊、乾二一二六]
(か)杏雨書屋[大阪書林文榮堂伊丹屋善兵衞刊行本。早川氏藏書票がある。一帙七冊、杏二一四]
(き)■■文庫[七巻七冊]

(三)著者の生涯の記録
 著者の藤井見隆は元禄二(一六八九)年九月二日に生まれ、寶暦九(一七五九)年二月十二日に歿している。享年七十一歳。墓所は、京都の法善寺にある。名は政武、通称は慎蔵。以求子、呂求子、以楽子、慎斎などと号した。見隆は字である。藤井和充の子で、子に西洞がいることが知られている。京都に在住し、西洞院で医術を業とした。医学関係の主要な編著作として、次のものが知られている。
(く)医療羅合[編。享保九(一七二四)年刊行]
(け)背紐[享保十三(一七二八)年刊行]
(こ)眼科医療手引草[編]
(さ)眼科薬方
(し)眼目精要[編。享保十一(一七二六)年刊行]
(す)錦嚢妙薬秘録[訳]
(せ)経験医療手引草[編]
(そ)雑症合参難病奇病効方彙
(た)試験切要秘方
(ち)拾玉新智恵海[編。享保九(一七二四)年刊行]
(つ)拾玉続智恵海[編。享保九(一七二四)年刊行]
(て)拾玉智恵海[編。延享四(一七四七)年刊行]
(と)小児医療手引草
(な)初学詩文梯航[編。享保五(一七二○)年刊行]
(に)新続智恵海
(ぬ)世宝秘苑要術[編。享保十二(一七二七)年刊行]
(四)本書の内容構成

 藤井見隆の活躍した十八世紀にあっては、中国医学の影響力が大ではあるが、曲直瀬道三以来の医師たちによって考案あるいは改良された数々の診療方法の蓄積により、日本の風土や民俗に即した独創的な治療方法の確立が、より真実味を帯びてきた時代と言ってさしつかえないであろう。いわゆる、漢方医学をそのまま記載する段階を越えて、独創的な段階をめざそうとする時代であったのであろう。この資料も、中国医学の影響を受けながら、日本独自の治療方法の確立を目指したものと推定される。この書では、いろは順に記載された九百四十三種類の病気名称に対応した生薬による治療方法が論じられている。ただ、病気名称には重複があるので、実際の病気名は、それよりやや少なくなる。ただ、約九百項目以上にのぼる多くの処方が記載されていることを考えると、中国の古典的な医学書から採用された処方のほかに、日本独自の処方が混在していると考えるのが妥当であろう。これら中国伝来の古典的な処方と、日本において改良あるいは考案された処方の比較研究は、おおいに期待するところである。現在における、薬の効果のみを論ずる平面的な研究ではなく、処方の背後に見られる何物かを読み取る立体的な研究へと開かれる道があることを確信している。
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解 説

妙藥博物筌(みょうやくはくぶつせん)[京都大学附属図書館富士川文庫所蔵、ミ・一七]

(一)書誌
 本集成では京都大学附属図書館富士川文庫所蔵本(書林前川文榮堂/大阪博勞町心齋橋通角/伊丹屋善兵衞版)を使用した。七巻七冊である。刊行年度は明記されていない。『国書総目録』『古典籍総合目録』(岩波書店)によれば、この資料は、本書で使用したもの以外は、以下の諸機関に所蔵されている。全て版本である。編者が未見の資料も多く、ここでは、これらの資料を列挙した。

(二)所蔵されている資料一覧
(あ)国立国会図書館白井文庫[七巻七冊。特一・二二三○]
(い)東京大学附属図書館鶚軒文庫[七巻七冊]
(う)研医会図書館[七巻七冊]
(え)刈谷市立図書館[七巻七冊]
(お)杏雨書屋乾々齋文庫[一帙七冊、乾二一二六]
(か)杏雨書屋[大阪書林文榮堂伊丹屋善兵衞刊行本。早川氏藏書票がある。一帙七冊、杏二一四]
(き)■■文庫[七巻七冊]

(三)著者の生涯の記録
 著者の藤井見隆は元禄二(一六八九)年九月二日に生まれ、寶暦九(一七五九)年二月十二日に歿している。享年七十一歳。墓所は、京都の法善寺にある。名は政武、通称は慎蔵。以求子、呂求子、以楽子、慎斎などと号した。見隆は字である。藤井和充の子で、子に西洞がいることが知られている。京都に在住し、西洞院で医術を業とした。医学関係の主要な編著作として、次のものが知られている。
(く)医療羅合[編。享保九(一七二四)年刊行]
(け)背紐[享保十三(一七二八)年刊行]
(こ)眼科医療手引草[編]
(さ)眼科薬方
(し)眼目精要[編。享保十一(一七二六)年刊行]
(す)錦嚢妙薬秘録[訳]
(せ)経験医療手引草[編]
(そ)雑症合参難病奇病効方彙
(た)試験切要秘方
(ち)拾玉新智恵海[編。享保九(一七二四)年刊行]
(つ)拾玉続智恵海[編。享保九(一七二四)年刊行]
(て)拾玉智恵海[編。延享四(一七四七)年刊行]
(と)小児医療手引草
(な)初学詩文梯航[編。享保五(一七二○)年刊行]
(に)新続智恵海
(ぬ)世宝秘苑要術[編。享保十二(一七二七)年刊行]
(四)本書の内容構成

 藤井見隆の活躍した十八世紀にあっては、中国医学の影響力が大ではあるが、曲直瀬道三以来の医師たちによって考案あるいは改良された数々の診療方法の蓄積により、日本の風土や民俗に即した独創的な治療方法の確立が、より真実味を帯びてきた時代と言ってさしつかえないであろう。いわゆる、漢方医学をそのまま記載する段階を越えて、独創的な段階をめざそうとする時代であったのであろう。この資料も、中国医学の影響を受けながら、日本独自の治療方法の確立を目指したものと推定される。この書では、いろは順に記載された九百四十三種類の病気名称に対応した生薬による治療方法が論じられている。ただ、病気名称には重複があるので、実際の病気名は、それよりやや少なくなる。ただ、約九百項目以上にのぼる多くの処方が記載されていることを考えると、中国の古典的な医学書から採用された処方のほかに、日本独自の処方が混在していると考えるのが妥当であろう。これら中国伝来の古典的な処方と、日本において改良あるいは考案された処方の比較研究は、おおいに期待するところである。現在における、薬の効果のみを論ずる平面的な研究ではなく、処方の背後に見られる何物かを読み取る立体的な研究へと開かれる道があることを確信している。

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