商品コード: ISBN4-7603-0206-9 C3321 \50000E

第9巻 日本科学技術古典籍資料/天文学篇[2]

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第9巻 日本科学技術古典籍資料/天文學篇[2]
Volume Ⅸ The Collected Historical Materials on Japanese Science and Technology: The History of Japanese Astronomy (2)

〈2000/平成12年12月刊行〉
[第9回配本]

◎渋川 景佑 撰『寛政暦書』
◎渋川 景佑 撰『寛政暦書・續録』
◎渋川 景佑 撰『新修五星法』(10巻)

(07)渋川景佑・山路諧孝・足立信頭・吉田秀茂撰述・稿・刪定『寛政暦書』(35巻35冊、弘化1(1844)年成立、国立公文書館所蔵、194-157)
 「寛政暦」である『暦法新書』(8巻)には、推算法による記述が多く、暦理は記述されていなかった。「寛政暦書暦理撰述書」は、「寛政暦」採用後40年を経ても未完成のままであった。天保10(1839)年4月28日、幕府から渋川景佑に対して、「寛政暦書暦理撰述書」の調査・提出の命令が下り、弘化1(1844)年に完成して上呈したのが、『寛政暦書』(35巻)及び『寛政暦書・續録』(5巻)である。
(08)渋川景佑 撰述『寛政暦書・續録』(5巻5冊、弘化1(1844)年成立、国立公文書館所蔵、194-157)
 弘化1(1844)年に完成して、『寛政暦書』(35巻)と共に上呈された。主として、五星の暦理、運動などを記載していて、『[新修]五星法』をさらに豊富にした内容と言えよう。
(09)渋川景佑・山路諧孝・足立信頭・吉田秀茂・渋川敬直・山路彰常・足立信順 撰、安倍晴親 校正『寛政暦五星法續録』(10巻10冊、天保8(1837)年2月5日成立、国立公文書館所蔵、194-157)
 この書はおそらく土御門家に提出された暦書を安倍晴親(土御門晴親)が校正したものであろう。筆者も『寛政暦書』と同一である。
(10)渋川景佑 編輯、足立信頭 校正『[新修]五星法』(10巻10冊、国立公文書館所蔵、文政5[1822]年9月序、特5-4)
 太陽、月、五星(歳星・木星、?惑・火星、鎮星・土星、太白・金星、辰星・水星)の軌道や運動を論じた資料である。「寛政暦」の不備を知った高橋至時が記した『[新修]五星法及図説』の増補・改訂版とも言える内容である。「寛政暦」の施行後、高橋至時の次の研究主題は、五星の運行理論や暦理を究めることにあった。高橋至時は、オランダ語で書かれたさまざまな暦書を読んで、西洋の惑星理論を研究し、その成果が『[新修]五星法及図説』で、寛政12(1800)年から享和3(1803)年にかけて完成している。渋川景佑が亡父の意思を継いで完成した著作物で、天保7(1836)年、『新巧暦書』と共に幕府に献上された。天保8(1837)年1月に土御門家に提出され、天保8(1837)年2月5日に、土御門家から、『寛政暦五星法續録』の名称を賜ったと記されている。この史実に従うならば、まず、高橋至時の『[新修]五星法及図説』が書かれ、この書の第一次の改訂・増補版として、渋川景佑の撰述、足立信頭の校正により『[新修]五星法』が製作され、次に、安倍晴親(土御門晴親)の校正により、第二次の改訂・増補版として『寛政暦五星法續録』が完成したことになる。
 さらに、弘化1(1844)年に、さらなる第三次改訂・増補版として、『寛政暦書・續録』が完成したことになる。この資料をめぐる書誌的な研究については、再度、精密な調査を行って、検討する必要があろう。
[ISBN4-7603-0206-9 C3321 \50000E]
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第一部 資料篇

(07)渋川景佑・山路諧孝・足立信頭・吉田秀茂撰述・稿・刪定『寛政暦書』(35巻35冊、弘化1(1844)年成立、国立公文書館所蔵、194-157)
 「寛政暦」である『暦法新書』(8巻)には、推算法による記述が多く、暦理は記述されていなかった。「寛政暦書暦理撰述書」は、「寛政暦」採用後40年を経ても未完成のままであった。天保10(1839)年4月28日、幕府から渋川景佑に対して、「寛政暦書暦理撰述書」の調査・提出の命令が下り、弘化1(1844)年に完成して上呈したのが、『寛政暦書』(35巻)及び『寛政暦書・續録』(5巻)である。

(08)渋川景佑 撰述『寛政暦書・續録』(5巻5冊、弘化1(1844)年成立、国立公文書館所蔵、194-157)
 弘化1(1844)年に完成して、『寛政暦書』(35巻)と共に上呈された。主として、五星の暦理、運動などを記載していて、『[新修]五星法』をさらに豊富にした内容と言えよう。

(09)渋川景佑・山路諧孝・足立信頭・吉田秀茂・渋川敬直・山路彰常・足立信順 撰、安倍晴親 校正『寛政暦五星法續録』(10巻10冊、天保8(1837)年2月5日成立、国立公文書館所蔵、194-157)
 この書はおそらく土御門家に提出された暦書を安倍晴親(土御門晴親)が校正したものであろう。筆者も『寛政暦書』と同一である。

(10)渋川景佑 編輯、足立信頭 校正『[新修]五星法』(10巻10冊、国立公文書館所蔵、文政5[1822]年9月序、特5-4)
 太陽、月、五星(歳星・木星、?惑・火星、鎮星・土星、太白・金星、辰星・水星)の軌道や運動を論じた資料である。「寛政暦」の不備を知った高橋至時が記した『[新修]五星法及図説』の増補・改訂版とも言える内容である。「寛政暦」の施行後、高橋至時の次の研究主題は、五星の運行理論や暦理を究めることにあった。高橋至時は、オランダ語で書かれたさまざまな暦書を読んで、西洋の惑星理論を研究し、その成果が『[新修]五星法及図説』で、寛政12(1800)年から享和3(1803)年にかけて完成している。渋川景佑が亡父の意思を継いで完成した著作物で、天保7(1836)年、『新巧暦書』と共に幕府に献上された。天保8(1837)年1月に土御門家に提出され、天保8(1837)年2月5日に、土御門家から、『寛政暦五星法續録』の名称を賜ったと記されている。この史実に従うならば、まず、高橋至時の『[新修]五星法及図説』が書かれ、この書の第一次の改訂・増補版として、渋川景佑の撰述、足立信頭の校正により『[新修]五星法』が製作され、次に、安倍晴親(土御門晴親)の校正により、第二次の改訂・増補版として『寛政暦五星法續録』が完成したことになる。
 さらに、弘化1(1844)年に、さらなる第三次改訂・増補版として、『寛政暦書・續録』が完成したことになる。この資料をめぐる書誌的な研究については、再度、精密な調査を行って、検討する必要があろう。

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