商品コード: ISBN978-4-7603-0425-7 C3321 \50000E

第4巻 日本科学技術古典籍資料/天文學篇[11]

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第4巻 日本科学技術古典籍資料/天文學篇[10]

虞書?象俗解(乾、坤)、授時?註 循環?(一~五)、 萬民家寳 増補暦之抄大成(上、下)、船乗りひらうと、航海類書 全(【一】~【三】)、蠻?、天文拾遺(一~五)

解 説
 この巻は、中国の古典資料を繙き、それらを参考にしながら、日本独自の天文學を確立しようとした碩学の論攷を主として掲載した。これら原資料の所在は、いずれも東北大學附属図書館で、【】内に配架番号を記載した。
(1)西川如見 著: 虞書?象俗解(乾、坤)【林集書 一一九八・四○二・二】
 「書経」もしくは「尚書」は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書で、伝説の堯舜から夏・殷・周までの帝王の言行録を整理した演説集である。虞書とは、堯舜の時代の帝王の政治に関係する言行録の事である。『史記』「五帝本紀」によれば、堯は羲和、羲仲、羲叔、和仲に命じ、天文を観察して暦を作らせた。一年を三六六日とし、三年に一度、閏月をおいた。この事実に鑑みるに、農業、狩猟、漁労が主要産業であった伝説の時代とはいえ、為政者は善政を行い、人民の生活を成り立たせるために、作物の栽培に必要な太陽の運行を研究する必要があったことが窺われる。この書は、「書経」の記事を参考にしながら、古代以前の中国の天文思想を、理解しやすいように解析した概説書の趣がある。版本で、享保五(一七二○)年に柳枝軒から刊行されていることを勘案すると、啓蒙的な書籍であることを窺わせるに十分な内容である。著者は西川如見(にしかわ じょけん)。慶安元(一六四八)年に、肥前長崎で生を享け、享保九(一七二四)年八月十五日に没している。享年七十七歳。江戸時代中期の天文学者。父は同じく天文学者の西川忠益。母は石山宗林の娘。本姓は源、名は忠英、通称は次郎右衛門。別名は恕軒、恕見。求林斎、淵梅軒、釣潮子と号した。法号は金梅庵で、肥前長崎の長照寺に葬られた。
 寛文十二(一六七二)年、二十五歳の時、和漢の学問を儒学者の南部草寿に、天文・暦算・測量学を、林吉右衛門門下の小林義信(小林謙貞、樋口権右衛門)に学んだと伝えられている。元禄八(一六九五)年、四十八歳の時に、日本で初めての世界地誌『華夷通商考』を著した。元禄十(一六九七)年、隠居して著述に専念。宝永五(一七○八)年、六十一歳の時に『増補華夷通商考』を公刊した。その著作において、南北アメリカが初めて日本に紹介された。
 天文・地理学上の著述においては、中国の天文学説に倣いながらも、ヨーロッパの天文学説にも造詣が深かった。享保三(一七一八)年、江戸へ赴き、翌享保四(一七一九)年、八代将軍徳川吉宗から天文に関する下問を受けた後、暫く江戸に滞在し、享保五(一七二○)年にこの著作を印行している。息子の西川正休も天文学者で、改暦御用をつとめ、延享四(一七四七)年、天文方に任命されている。
 上記の著書の他に、『両儀集説』(正徳四)、『運気指南後篇』(享保元)、『町人嚢』、『百姓嚢』(享保六)、『長崎夜話草』(享保五)、『日本水土考』(元禄十三)、『水土解弁』などを執筆している。
(2)小泉松卓 撰: 授時?註 循環?(一~五)【狩七・二○九六二・五】 
 授時暦は、一二八○年、元のフビライ汗に仕えた郭守敬が、イスラーム暦をもとに作った暦で、現在のグレゴリウス暦に等しい正確さだった。中国では、殷周時代以来、各王朝が制定する太陰暦(正確には太陰太陽暦)を採用し、一年を三六五・二五日としていた。授時暦においては、一年は三六五・二四二五日で、地球の公転周期との差は、わずかに二十六秒しかなかった。その正確さは、約三百年後の一五八二年、グレゴリウス十三世の支配時代にに考案され、現在も通用している、グレゴリウス暦に比肩しうる内容であった。授時暦は高麗に伝えられ、さらに、日本にも影響を与え、渋川春海が作成し、貞享二(一六八五)年に採用された「貞享暦」も、この暦に基づいている。その後、中国では、明王朝が授時暦を一部修正して、一三六八年に大統暦を採用した。授時暦と大統暦は優れた暦法であったが、暦日と実際の気候とが次第に合わなくなり、農作業に支障が出始めた。イエズス会の宣教師アダム・シャールが、弟子の徐光啓とともに、西洋暦法による新暦を作成し、明代末の一六二九年、『崇禎暦書』を著し、その正確さが知られるようになった。しかし、まもなく明王朝が滅亡し、暦の改訂は実現しなかった。清朝は、新たな暦の制定に取り組み、アダム・シャールに命じて新暦の制定にあたらせ、一六四五年から、時憲暦を採用した。中国がグレゴリウス暦(太陽暦)に切り替わるのは、辛亥革命の翌年、中華民国第一年の一九一二年からである。ちなみに、日本の太陽暦へ切り替えは、明治六(一八七三)年のことである。本資料は、日本の暦作成事業に多大な影響を与えた授時暦についての丁寧な概説書で、「正徳二(一七一二)年改正」と記載されている。おそらく、「貞享暦」の改訂版を注釈した資料と推定される。撰者の小泉松卓は、京都の人で、紀州高野山に居を構え、江戸時代前期に活躍した和算家として名高い。名は光保で、字は景林、松卓の他に、幹支軒、南山と号した。生没年は未詳。他に、元禄十(一六九七)年に、『授時暦圖解』を刊行している。この資料の末尾に、享保二(一七一七)年に出版許可をうけ、文政六(一八二三)年「補刻」の記載があり、何度も重版を行ったことが窺われる。また、京師、東都、尾陽、攝都の著名な版元から刊行されていることも、大量に印刷された事を裏付けていよう。さらに、凡例に取り上げられている六十五種類の参考書籍は、一読に値するものである。
(3)佐藤和泉 校考: 萬民家寳 増補暦之抄大成(上、下)【狩七・七一三六二・二】
 土御門家支配佐藤和泉の校考で、享保元(一七一六)年に刊行されている。貞享二(一六八五)年の「貞享暦」採用以降、編?作業は、土御門家から江戸幕府寺社奉行支配下の天文方に移された。その時点で土御門家は?作成事業の権利を失ったことを考えると、この華族が代々受け継いできた暦作成の有様を分かりやすく記述した啓蒙書であると考えられる。上巻二十二章、下巻四十八章で、暦の内容を丁寧に記述した資料である。版本。
(4)船乗りひらうと【平山文庫】
 東北大學理学部数学科教授であった平山諦先生の旧蔵品である。日本各地の緯度、冬至や夏至を知る方法、北極星圖、破軍星の圖、クワダランテ・コンパスの圖などを記載。著者名は不詳。貞享二(一六八五)の年紀が見られる。統一された思想をもって書かれた書籍ではなく、備忘録のような体裁である。手書資料。
(5)志村茂斎 編: 航海類書 全(【一】~【三】)【本館 巳七・四】
 この資料は、『国書総目録』によれば、この図書館にのみ架蔵されている。全三冊の構成で、手書資料。各冊の目次は以下のように表示されている。
【一】太陽年; 萬國圖説之内 距等圏里分表 二十四氣太陽緯度表; 新撰算学大全 目録; 日本諸州経緯度; 推二十四氣毎時日影之法; 測太陽太陰知経緯法; 西説観象経; 合武傳法奥儀風雨考巻; 異星考(相澤春城 撰)
【二】慈石考(戸板保佑 著); 屋怛度篇 儀器功徳; 諸測量器用法撮集; 蒸氣船製造口授?塲之圖; 軍艦倍説集; 蘭船見閲集; 瀝青塗之傳
【三】附朏光推法
 【一】の末に文化八(一八一一)年記載、萬延元(一八六○)年写の記載から推測すると、幕末期に書かれた資料であることは疑いを得ない。粗稿と言った内容で、全体の構成も不明確で、おそらく、この研究ノートを基にして、論攷を完成する意図があったと推定される。編者の志村茂斎の略歴については未詳。ただ、この資料の中に、「(志村)恒憲」の記載があるので、志村恒憲と志村茂斎は同一人物の可能性がある。ちなみに、志村恒憲は仙台出身の和算家で、文政六(一八二三)年に生まれ、明治三十一(一八九八)年に没している。二人が同一人物であるとするならば、文化八(一八一一)年にこの粗稿を記したもう一人の作者がいることになるが、検証は行われていない。
(6)蠻?【平山文庫】
 東北大學理学部数学科教授であった平山諦先生の旧蔵品である。
(7)殿村晴辰 著: 天文拾遺(一~五)【林集書 八二七・五】
著者は殿村晴辰(とのむらはるとき)で、生没年不詳。春牙と号する。江戸時代の中期に活躍した。彼は筑紫生まれで、寛保年間の始め頃、仙台に赴いて、佐竹義根の門人となった。宝暦十(一七六○)年に「天学答問記」三巻、宝暦十二(一七六二)年に、この書の続編である「天文拾遺」五巻を著した。師匠の佐竹義根(さたけよしね)は、元禄二(一六八九)年閏一月三日(二月二十二日)に生を享け、明和四(一七六七)年閏九月二十日(十一月十一日)に没している。江戸時代中期の仙台藩の天文方に就任し、神道家でもあった。この資料も神道家の師匠の影響を受けて、内容を見てみると、神道色の大変に強い書籍である。手書資料。
 

  二○一七年四月中旬
                                                                             編者識
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科学技術古典籍資料シリーズの特色

(l)近世に創作された日本の科學・技術に関係する貴重な古典籍を網羅---貴重な資料が全国各地に散在しているために、日本の科學・技術に関連する第一次資料を網羅することはできなかった。今回はさまざまな資料を捜索・掲載し、日本の科學・技術の歴史全体を俯瞰できる内容とした。

(2)充実した内容と斬新な構成----初學者にも理解できるように、古代から近世末期までを俯瞰できる各分野ごとの科學・技術史年表、基本的な文献の解題目録、完璧な索引を作成し、内容を豊富化した。既存のさまざまな概念にとらわれずに、事実としての日本の科學・技術の歴史を明らかにすることを重視している。古代・中世に、中国より渡来した科學・技術は、江戸時代に独自の発展をとげ、この時代の中期以降に西洋の科學文化に接触し、さらなる歴史を形成した。本集成は、この発展の歴史を辿りながら、現代以降の科學・技術のさらなる発達に寄与できうる内容構成とした。

(3)あらゆる學問分野で活用できる資料集成----この資料のみで、日本の科學・技術史を俯瞰できるのが大きな特色。資料篇、文献解題篇、年表篇、索引篇のいずれからも読むことが可能で、さらなる研究に活用するために便利な資料。日本科學史、日本歴史の研究者のみならず、作家、ジャーナリスト、社会科學・自然科學分野の研究者なども活用できる、体系的な資料集成。
[当初この日本科学技術古典籍資料シリーズは、「日本科學技術古典籍資料集成」として、独自のシリーズで刊行の予定でしたが、古代及び中世の日本独自の文献を所蔵している機関が少なく、また、所蔵していたとしても、複製が困難なために、新たなシリーズとして発行することを断念致しました。さらに、江戸時代に科學技術研究が最盛期を迎えたことと、この時代に発行された資料がほとんどであることを勘案して、「近世歴史資料集成」シリーズに組み入れることにした次第です。深くお佗び致します。]

各巻本体価格 50,000円

[内容構成に若干の変更がある時は、ご了解下さい]

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